日本語だけではなく海外の言語においても言葉には「言霊(ことだま)」という魂があると言われています。本来、言葉は様々な祈りを込めて使われていくものだと思います。例えば、幸福になってほしいという祈りが言葉の魂に込められて、幸せのメッセージが他人に伝えられていくのではないかと考えます。
突飛な出だしになりました。それというのも、「後期高齢者免許更新」の認知機能検査について一文を書いているときにある疑問がわいてきたのです。
「後期高齢者」という言葉はどこから、そしていつから日本に登場したのだろうか。
少し調べてみると、2008年厚生労働省が作った「後期高齢者医療制度」からのようだということがわかりました。この制度は、国民だけでなく、日本医師会からも大きくたたかれました。何よりも「後期高齢者」という言葉・表現に対して大きな批判が集まりました。当時の福田総理、舛添厚生労働大臣は、批判に耐えかねたのでしょうか。中身は一切変えずに、「長寿医療制度」と名称のみを変更したのです。それも制度開始日に。通常ではありえないことだと思います。現在ネットで検索してみると、「後期高齢者医療制度」と書いてあるところと「後期高齢者医療制度(長寿医療制度)」と書いてあるところがあるようです。
政治やお役所的には、定義しやすい表現を使いたいという思惑は理解するのですが、自虐的に又は、少しウケ狙いで「後期高齢者」が社会に根付いているように思います。
一方、いざ自分が後期高齢者になると、事実はその通りであるにもかかわらず、「あなたはそろそろ近い」と常に重しを感じながら生活することを想像します。気の弱い私は今から滅入りそうです。
人は例外なく皆、齢を重ね旅立っていきます。私は、後期高齢者として旅立っていくより、和田秀樹先生の著「80歳の壁」で言われている「幸齢者」と言われながら、そして「幸齢者」と仲間に「幸せ」の言霊を伝えながら旅立っていきたいと願っています。(naka)